コロナ禍の原因は、死にたくない高齢者、親を死なせたくない子供、人を死なせたくない医師の迷惑な使命感、自分の専門分野の病気での死者をゼロにしたい感染症専門学者、選挙のため高齢者層にこびる政治家、高齢の自分がコロナ怖い政治家、余計な発言でTVに潰されたくない政治家、ワクチンを売りたい製薬会社とその利権に加担する投資家、政治家と扇動部門を任されたTV。PCR検査で一山当てた奴ら、そして視聴率を取りたいTV。いろんな利権が渦巻いて出来てるのがコロナ禍だ。我々は逃げられない。こんな強い利権には勝てない。いくら「そんなのおかしい」と叫んでも無駄だ。自分の立場を確認して行動するしかない。
これから病院、施設でワクチン接種が始まる。打ちたい人には待望のワクチン。打ちたくない人にはきつい選択の時期が来る。ワクチンは強制はない。しかし「その集団みんなが防御しなきゃ意味がないのよ」「あなた1人の問題じゃないのよ」という接種圧力がかかるだろう。「あいつは打ってない」とその組織に居づらくなるのかも。「子供の頃ワクチン接種でショックになったから打てません」という人が増えるだろう。
自粛派は僅かなコロナ死亡率も怖いがワクチン副反応は怖くない。反自粛派は僅かな死亡率は怖くないが僅かの副反応は怖い。両方怖くない人と、両方怖い人は少ない、、「副反応あってもいいから死ぬのは嫌派」と「死ぬのはしょうがないが副反応で生きるのは嫌派」だ。この2派は完全に相容れない、生き方の問題だからだ。「死なないように生きる派」と「死んでもいいように生きる派」だ。当然ながら後派は圧倒的に少ない。これらは個人の死生観であり、集団で見れば文化だ。「そのうちわかるさ」「いつになったら気づくのだ!」なんて甘い。「死んでもいいように生きる派」が大多数になるには数十年かかる。文化だから。大多数を攻撃しても勝てない。反乱分子として潰されるだけ。大多数の中での生き方を考えよう。
「コロナで死者を出すわけにいかないからワクチン!」で始まり、「ワクチンは死亡率は下げないが症状を軽くするから必要!」といつの日かすり替わる。死者が出ても「多くの命が救われる(死亡率は下げないが)のだから、少数の副反応は目をつむれ」となる。最近は「みんながワクチン接種して集団免疫を作るべきだ」になってきた。「高齢者はワクチンは危険だから打たない」となる可能性も高くなってきた。集団免疫ならマスクなんかやめてみんなが罹患するのがいいのに。全てインフルエンザワクチンと一緒のシナリオだ。1年前から全ての流れがワクチン接種ありきだ。
「先生、、大丈夫ですか?」。よくある。何が目的ですか? 医者に大丈夫と言って貰い安心したい? 死ぬリスクを出来るだけ減らしたい? 悪い方向に行ったら医師に責任を取らせたい?、、ならそうしてくれる医師を選べばいい。そもそも、死にたくないなら何してもダメです。目的が「よりよく生きる」なら私、手伝えますよ。「ワクチン打って大丈夫?」。だから、人に聞くなよ! 自分で判断しようよ。「だって私は医者じゃないし」。ではあなたは一生「お母さん、この人と結婚して大丈夫ですか?」と誰かに聴いて生きるのか? あなたは誰のために何を優先させるのか。家族のため。仕事を続けるため。客のため。患者のため。スタッフのため。子供のために自分が生き残るため、、、全て自分で自分の優先度を決める。それがあなたの人生だ。他人や政治家のせいにせず、自分で決めるしかない。全ての決定は生き方につながる。それがブレない人生だ。
RNAワクチン。体に人工的な遺伝子を入れて、ウイルスの一部に似せたものを体内で作らせて、それの免疫を作らせる仕組み。夢の技術だが、動物実験で成功してない。長期の安全性も確認されてない。大規模人体実験から始まる先進医療なんか今までの医学の常識ではあり得えない。怖いのは副反応じゃない。遺伝子組み換え人間がどうなるかだ、、、、遺伝子組み換え人間なんていない(汗)。あくまでキャッチコピーだ。遺伝子組み換え人間なんか作れない。作れるかもしれないけど、倫理的には作っちゃいけない。だけど、中国あたりで作ってる可能性は否定できない。ちなみに「遺伝子組み換え」の意味がちゃんと分かる人(説明出来る人)は医師でも100人に1人もいないはず。組み換え人間が出来るとしたら、、、「生まれてくる」という表現が正しい。注射した程度じゃ生まれない(汗)。
でも遺伝子を体内に注射して、人の体のなかで、ウイルスの一部にあたるたんぱく質を作らせるのは事実。これは夢の技術なのだ。物凄い事。成功すれば今後のいろんな治療に役立つ。研究者はやりたい。製薬会社もやりたい。しかし「長期の人体にたいする影響」は調べられていない。いや、その前の臨床試験さえ終了していない。前代未聞の見切り発車だ。だけど、「問題ない」と彼らは言うに決まってる。だって「夢の技術」だもの。 アレルギーなどの副反応なんてあるに決まってる。そんなものが怖いんじゃない。ナノテクノロジーで、何かを埋め込まれる、、、そんな陰謀論じゃない。「長期の人体に対する影響」が心配なのだ。そして「安全です!」という科学者が一番恐ろしい。
私は「ワクチンは好きに接種すればいい」派。打ちたい人は打てばいい。打ちたくない人はうたなきゃいい。それぞれの判断で打てばいい。強制的にならねばそれでいい。人生全て選択の連続。
どの車に乗ろうと
どんな人と結婚しようと
どんな発言しようと
どこに住もうと
どんな職業に着こうと
どんな人と付き合おうと
どんだけ太ろうと
どんだけ酒を飲もうと
他人に迷惑かけなきゃいい
法律を犯さなきゃいい
常識なんて人それぞれ
「あなたのために!」だけは勘弁願いたい。
「症状がなく、突然悪化するから怖い」。それが「コロナの特徴」なら多くの患者にその症状が出るものだ。一部の僅かな症状は「その疾患の特徴」とは言えない。症状が急変するのは高齢者の特徴だ。高齢になれば自分の体の不調に気づかなくなる。急に悪化するのではなく、悪化しないと周囲が気づかない。急性期病院では普段そういう高齢者はあまり診ない。来ても高度な治療は普段はしない。だから「高齢者の特徴」を知らないのだ。専門学者なんて絶対知らない。勿論知ってる医師も大勢いるはずだが、知らない医師の「突然悪化するから危険!」発言は、TVにとっては美味しいネタだ。言葉が一人歩きしてるのだろう。
「コロナは危険!」と、国のコロナ封じ込め作戦を先導(扇動)してきた感染症専門学者が「コロナは弱いウイルス」と認めだした。しかし「一部の人にはにはサイトカインストームを引き起こす恐ろしいウイルス」と1万人に4人しか起こらない事をウイルスの特徴と主張する。医学ではは1%以下は副作用としても無視するレベルなのに、どうなっちゃってるの? 更には「軽い症状なので感染者が出歩き、他人に感染させる事がこのウイルスの怖さだ!」と主張している、、、あれあれ、まだ封じ込め戦略なのね、、、もはや科学者でない。国立大学の教授なのに恥ずかしい。
本物の感染症専門家(教授レベル)は風邪なんか知らないだろう。診療したこともないだろう。だって専門家だから。風邪の診療なんかしてたら教授にはなれない。高齢者の死も生活も施設も全く知らないはず。知ってたら感染症の教授になんかなれない。感染症で死なせない事が感染症専門家の正義。死にそうな人でも救って転院させれば満足だ。救った命の行く末は知らない。高齢者を救っても認知症寝たきりになる人が多い。本人の望む医療ではなく医師の望む医療が主体になっているのが日本の現代医療だ。
コロナが急変する恐ろしいウイルではない。高齢者になればなるほど苦しいと感じない、苦しいと訴えない、訴えられない。高齢になればなるほど当然脳機能も衰える。自分1人で生きられなくなった状態が認知症だ。恐ろしい病気ではなく、体がダメになる前に脳がダメになった状態、人の手をかりて生きている延命治療中だ。おしっこが出たのもわからないのだから、苦しいのも訴えられない。普段あわない高齢者、認知症の生活を急性期病院医師は知らないからしょうがない。私も病院にいた時は知らなかった。コロナに急変なんかない。医師が気が付かないだけ。
「肺炎」は通常、元気な人が突然なるものではない。体の状態が悪い人、高齢者がなる病態だ。そういった死に近い人を助けようとするのが感染症専門家の仕事。残念ながら「感染症専門医は延命治療専門医」に最も近い。感染症専門医に舵を取らせれれば、死にそうな人の死を遅らせる事に国費浪費と経済損失と子供たちの自由を奪う、、、国レベルで「目先の延命治療」「延命至上主義」の方針になるのは避けられない。
日本の人口動態統計では1月の死者がピークだ。事故や癌患者の死者数は季節変動しない。よって高齢者の死者数はこの人口動態統計以上に1月が高いピークだ。私は「コロナは感染率が高いから感染者が多いだけ。でも死者は少ない。死にそうな人が死ぬ程度の弱い風邪だ」という主張。よってコロナの死者数(医学的なコロナが原因での死者ではなく、TV医学的、、、PCRが陽性で死ねばコロナ死)は1月がピークだ。
「心不全パンデミック」とあちこちの循環器教授、循環器専門家が発信している。「大勢の人が心不全で大変な事になる。ちゃんと治療するべきだ!」という内容だ。だれでも必ず心不全で心臓が止まり死ぬ。「死にそうな人を助けないと大変なことになる」と騒いでいる。自分の専門分野の死者を減らしたい。治療してあげたい。死因が自分の専門分野でなければそれでいい。感染症専門家によるコロナ騒ぎと同じ構造だ。餅を詰まらせて100万人死んでも感染症専門家や循環器専門家は気にならない。餅を詰まらせて死ぬ人が増えたら今度は救急医療の専門家の出番がくる。こうして専門家は死因のパイを押し付けあっている。
「高齢者の命を守れ」というが、80歳以上の高齢者にアンケートすると、、意思表示不能曖昧30% 。残り70%うち、死にたくない10% 。死にたいけどすぐは嫌50%。早く死にたい10%。入院したくない65%。(勿論推測)。専門家や分科会は「治して救ってあげたい病」。本人の意志は必要ない。関係ない。自分の専門分野の病名で死なせたくないだけ。
若ければ若い人ほど医療の恩恵は多大で、高齢になれば恩恵は小さく、むしろ残酷になる。救ったと思った命の行く末を見てから救うがいい。目先の命を救っても、それは医療の自己満足。救いたいなら最後まで救い続けてみよう。寝たきりで胃瘻や点滴で栄養を与えられ、表情すらない生かされてる高齢者らの姿を見たことないんだろう。見れば高齢者医療の無力さに気づくだろう。多くの医師は自分が高齢になってからようやく気づくのだ。
若くて癌で死ぬ人がいる。3歳で癌になる人もいる。それは「癌になりやすい遺伝子を持っていた(遺伝因子)か、早く老化した(環境因子)かだ。免疫力も同じ。高齢になれば低下する。若くて弱い人もいる。健康な子供、若者は風邪で死なない。コロナも早期発見治療(早くPCR検査)すれば死なない、、、は幻想だ。死にそうな人が死ぬ。そうでない人は死なない。
「自宅療養によって突然悪化して亡くなった。恐ろしい」。そんなに急変する人は絶対に助けられない。ECMO回したって助けられない。いじくり回されて、病院で家族に会えずに死ぬより、自宅で家族と居れて死ねてよかったのだ。医療崩壊のお陰で2類なのに隔離されなくってよかった、、高齢者の場合、そういう視点もある。いや、本人はそう思うだろう。
私は患者と、ほぼ全員亡くなるまで付き合う。数日から数年診るが急変はない。全て想定内だ。一人で年間100人看取るが、週末は代診頼まずに県外にも遊びに行く。講演に行く。毎晩酒も飲む。外科医の頃より遊んでいる。亡くなる事は急変ではない。「もしもの事」ではない。人は100%亡くなるのだから予定通りなのだ。「急変」とは予測出来なかった事を誤魔化すための医療用語だ。医師としては格好悪い医療用語だと思う。私の患者は100%亡くなる。最後まで付き合えば必ず亡くなる。でも急変はない。だから緊急で呼ばれる事は滅多にない。
基礎疾患のない若者が、、、そんなに簡単に人は死なない。急死するのは主に脳か心臓だ。脳卒中、不整脈、心筋梗塞などの気付いていない重篤な基礎疾患を持っていたのだろう。苦しくない肺炎が急に進行してパタリと死ぬ。そんなのありえない。それはTV医学とYouTubeの世界だ。基本的には若者は脳や心臓に疾患がなければ「なかなか死なない」。一方、高齢者は全ての臓器がギリギリなので「簡単に死ぬ」。
施設高齢者の発熱。よくあること。主治医によって対処はさまざま。採血して抗生物質治療する感染症治療派医師が多い。勿論入院。熱心な在宅医は抗生剤点滴治療。私は熱が出たら単なる風邪派。辛そうなら解熱剤のみ。そのうち熱は下がる。肺炎になって死ぬ事はない。死んだらそれが死。入院治療絶食しない方が復活時に認知症進行や体力低下が少なくて済むからだ。勿論、入院のストレスは高齢者にとって半端じゃない。
TVしか見ない大多数の国民は「TVに出ている人は凄い人、専門家」だから「正しい」と思っている。この一年「コロナは怖いぞ」がTVのテーマ。「ワクチンが出来るまでコロナ恐怖をひっぱれ。ワクチンが投与されたらコロナが収束した」というワクチンありきのシナリオに沿って全てが動いている。動かされている。
そんな仕組みに政治家は気づいている。いや、昔から政治家はTVを苦々しく思っている。でも逆らえない。TVの表現次第で、政治家なんて「持ち上げる事」も簡単。「潰す事」も簡単な事だからだ。「世論調査で、、」「ちょっとでも変な発言をすればそれをリピート」、、政治家を潰すさまざまな手段を持っているから。ちなみに「いい政策」ではTV出演出来ない。「TVが喜ぶ政策」でないとTVには出演出来ない。TVに毎日出演できるコロナ禍は次のステップを狙う緑の狸にとっては大チャンス。総理になりたいんだろうな。
こうしてTVが日本を滅ぼそうとしている。私は「TVコマーシャル出す企業、商品への不買運動」を提案する。「◯◯ワイドショーにコマーシャル出す◯◯社製品は買うのはやめよう!」と。非自粛派は極少数派だが、この不買運動をSNSで騒げば、(撤退を迷ってる)スポンサーが察知し撤退する可能性はあるのでは? 少数派が不買しても効果はない。「不買するぞ!」とSNSで騒ぐ事はスポンサーの耳に必ず入る。