先週スキー友達の寿実子が自分の娘を連れて夕方診療所に遊びに来た。レンタルカオナシ(仮装)を返しに来たのだ。
「3女のももこよ。萬ちゃんのファンなんで、連れてきたのよ」
どうやら、俺の「コロナはただの風邪」というSNSの投稿を読んで、共感してくれているらしい。それを契機に俺の著書も読んで共感してくれているので、連れてきたようだ。俺の娘と同年代の人なつこい娘さんだった。
俺も娘世代から支援されて、嬉しい。調子に乗って「素敵な患者動画」をどんどん見せた。「親が死んで喜ぶ家族もいるんだよ」「死は辛いとは限らないんだ」「幸せそうな死もあるんだよ」と30分くらいアピールした。俺の著書を読んでいるのでマインドは理解していたが、リアルな動画を見てさらに感動してくれた。
初日
6日後の午前中、寿実子から電話があった。
「父が昨日脳梗塞で入院したの。意識もないの。担当の神経内科医師からは回復しないと言われた。脳外の医師からは手術を勧められたが断ったの。そしたら今朝、突然ももこが『じいちゃんを家で看取ろうよ』と言い出したの。私もそうしたいなと思ったので、他の兄弟に連絡したら、『そうしたい』と。がん患者じゃないけど、そんな事出来ますか?」
「いいねえ。大丈夫だよ。実は今日、予定があいてるんだ。それより、なんだよ。先週来て、今週お父さんが倒れたのかよ?! なんてタイミングだよ!」
「そーなのよ! で、どうすればいいの?」
「オーケー! いつ退院させたい?」意気込みを聴く。「今日」と言ったら本気だ。
「今日じゃだめ? 私、休みとったの。娘達も時間つくれるし、誰かいると思うの」
おおっ~。やっぱ本気だ。こちらも特攻隊長モードに入る。
「24時間ついてる必要はないよ、何歳? どこの病院? どこに住んでるの?」
「86才。一人暮らしで、オリジンさんにお世話になってるのよ。K病院よ。自宅は無理だから私の家につれて帰るんでいい?」
オリジンは共通の友人、小池君のやってる小規模多機能施設だ。
「おっーっ! 小池君のところか。で、寿実子の家はどこ?」実は寿実子の家はSNSで見た事ある。ちらっと写ってただけだが、俺好みの家だった。
「飯塚町」
「大丈夫だ。寿実子の家、行ってみたかったよ!」
「あらそう?! どうぞ♡!」
「じゃあ、すぐ主治医に『今日退院したい』って伝えて。『萬田に手伝ってもらう』ってちゃんと言っといて。俺は患者支援センターの看護師に仲間がいるから、そこに頼んで今日退院させて貰えるようにする。ベッドを入れなきゃ。ケアマネはだれ?」
「小池君」
「オケ。連絡しておく。訪問看護師はいるの?」
「いない」
「オケ。手配しとく。じゃあ、経過は報告しあおう」
「了解。せんせ、よろしくお願いします」
「実は、今日が都合がいいんだ。午前外来1件、午後訪問1件しか予定がなかったんだよ」
「あらっ♡」
K病院に電話する。K病院は、以前の職場に近かったので、よく患者を紹介してもらった。俺が開業してから遠くなったので、あまり紹介が来ないから、T看護師ともしばらく会ってない。
「久しぶり! 早速だが、緊急退院お願い」
T看護師に状況をはなし、今日退院させたい旨を伝えると、こころよく引き受けてくれた。
「了解っ! 目処が立ったらまた連絡します」
「サンキュー! よろしくね!」
訪看はどうするか。
仲間の訪問看護ステーションひびきの亀井くんにショートメール
「今日退院 やる? 何時からなら受けられる?」(本当にこれだけ)
亀ちゃんに、ノーと言われた事はない。なんとか時間作ってくれるだろう。
しばらくすると、返事が
「やります 15時以降でおねがいします」
「おねがい」
やりとりは、これだけだ。あとは患者状況、連絡先などMCSに記載して見て貰う。
「MCSお願い!」
「もう出来てるよ!」妻がすでに作成登録してくれていた。
「小池君と、ひびき、をMCSに招待しといて!」
「了解!」
MCSとはMedical Care Stationというシステムでラインのグループ機能みたいな在宅医療版。患者に関わるスタッフが登録されて、時系列に情報を共有する。俺は全ての患者はここに登録し、毎日診察した4-5人の情報を流し、20人位の患者の様子を看護師、介護士、薬剤師、ケアマネなどからの投稿で確認している。これのおかげで全ての患者の状態把握が毎日わかるのだ。
30分後、寿実子から電話があった
「主治医とはなせました。退院させられないって、、、」
「そんなはずないよ。病院は刑務所じゃないんだから。若い医者なの?」
「そう。でも主治医の先生は娘さんの気持ちはわかるって言ってくれてるのよ」
「どうしてだめなの?」
「『看護師と上司とも話した上で、状態が悪いので動かしたら危ないから、病院としては倫理上退院させられない』という事なの。私は、『すぐに亡くなっても構わない』と言ったんだけど、、」
「寿実子の本音は? 揺れてるの? 諦めるならいいよ。諦めたくないなら、退院出来ないなんて、ありえないから俺が退院させるよ」
「そりゃ、揺れるよ。もめ事も起こしたくないし、、」
「じゃ、病院で看取るの?」
「嫌。家で看取ってあげたい!」
「じゃ、俺が交渉するよ。大丈夫、そんなはずないから。退院出来るよ」
「わかった。お願いします。私も主治医にもう一度話してみる」
どうなってるんだろう? まさかT看護師まで退院に反対?
突然の退院は病院にとっては迷惑だ。紹介状書いたり、サマリー準備したり、常に病院側のペースでやっているのに、患者側のペースで仕事をしなければならないのは大変だ。さらに、病院の使命は「生かすこと」。「看取るから家につれて帰る」なんて事は受け止められない医療者もいる。俺がこの仕事を始めた13年前(当時)。「すぐ家に連れて帰る」は受け入れられなかった。「退院させられない」と主治医に言われて、強引に退院させたり、説得したり、お互いに大変だった。でも、そのうち病院側も退院を喜んで手伝ってくれるようになってきた。特に病院の看護師達は協力的だ。萬田の認知度と、時代の流れもある。もう10年以上「退院させられない」という話しはない。
退院させて、自宅に着くまでに亡くなる事も2回経験している。それでも喜ばれ、望まれるので、「家に帰りたい」「家につれて帰ってあげたい」患者を「緊急退院支援」する。月に1度程度ある。
T看護師に電話すると、
「ごめんなさい! 退院させないって主治医が言ったんですって。若い医者なのでごめんなさい。そんな事になるかなと悪い予感がして確認したら、そんな話しを伝えちゃったようで、、ごめんなさい! 彼の上級医師とも話してあるから退院は勿論OKですよ。もうすでに退院の準備始まってますから。退院は何時にします?」
「ちょっと様子を見に行きたいんだ。点滴止めたらすぐ血圧下がっちゃうとか、動かしたら呼吸が止まっちゃう状態なら、なんとか家まで持つように工夫したいし」
「大丈夫よ。いつ来る?」
「じゃあ、12時半に行っていい? 退院は15時にしたい」
「了解。介護タクシーは頼んでおきます。病院着いたら連携室に来てね。救命センター、案内するから。訪看さんは?」
「大丈夫。ひびきに頼んだ」
「了解、ひびきさんね」
寿実子に電話する。
「15時に退院になったよ」
「うっそ~!!」
「主治医に電話した?」
「揉めるのが嫌で躊躇してた。ごめんなさい。でもどうしてそんなに簡単に?」
予想通り、主治医が若くて経験ない(そんな状態で退院させる医師や家族はいない)から、「死んじゃうからダメ」と判断したんだろう。T看護師の話しを伝えた。
「俺は12時半に行くけど、退院は15時だから、寿実子は14時頃病院に行って。連携室のT看護師と連絡とってね。俺は15時過ぎに寿実子の家に行くよ」
「わかった。ありがとうね」
5分後に寿実子からまた電話があった
「退院したら、私の家に来る前に、施設に寄ってくる。父は義理の妹の事心配してたから彼女に会わせてから帰る。だから家に着くのは15時40分くらいかな」
「ほーっ。洒落た事するね。いいね~。了解。頑張れ」
たまたま、今日は時間があったので、どんどん話しが進む。予約が埋まっていると、こんなスピード感はない。普段はマネジメントを妻に頼むので、食い違いや勘違いも出てくるが、こうしてマネジメントを自分でやれると早い。しかも友達からの依頼で、T看護師も同じ歳の仲間。やりやすい。
お父さんが通所してる施設の管理者兼、ケアマネージャー兼、俺の友人の小池君にメールする。
「岡田さん、今日退院させる。ベット頼む」
本当にこれだけ。5伝えれば10わかってくれる仲間だ。
メールに返事が来てる事だけ確認する。内容は見る必要はない。大丈夫。
急いで昼飯をかき込み、K病院に向かう。
患者支援センターの受付にT看護師への面談を依頼するが、若い女の子だ。多分俺の事は知らない。
「もう一度、お名前伺ってよろしいですか?」
「緩和ケア萬田診療所の萬田です」
「承りました。おかけになってお待ちください」
受付の女性は、俺の前の順番の患者対応を始めた。
これが終わるまで、Tさんに会わせて貰えないと感じた俺は
連携室の入り口で立ってるアピール。誰か俺の事を知っているスタッフが気づいてくれないかなと。
5分後、俺の事を認知したっぽいスタッフがいた。やはりすぐ、T看護師が出てきた。
「あ~ら、せんせ、お久しぶり♡~ 中に入って!」。スナックに来たみたいだ。
顔の見える関係は重要だ。ファストチケットをもらったように、連携室に入る。
「若い子紹介するわ。こちら、今回岡田さんの担当の田中さんよ。今、休憩中なので、私が案内するわ」
「じゃあ、田中さんの休憩終わるの待つよ」
「なによ~!! 失礼ね~っ!!」
まわりのスタッフが笑って見ている。
俺はTさんの肩に手を回し、出口に向かう。
「じゃ、行こうぜ!」
久しぶりに会ったが、ボケと突っ込みが上手くかみ合い、周りの笑いも取れたところで、救命センターに向かう。
救命センターで若い主治医が待っててくれた。
「主治医のI先生です」と紹介されたその顔は見覚えがあった。
「知ってるよ!」
「覚えて貰えてましたか。Iです。5年前、いっぽでの研修で1ヶ月お世話になりました」
「おいおい、俺、よくわかったなぁ。何キロ太ったんだよ!」
「すみません。30キロばかり、、、」
おれがI君のおなかの脂をつまむ。やんちゃな俺のキャラはI君も覚えているようで、つままれたまま抵抗しない。
T看護師と、スタッフもビックリ、笑ってる。
お腹をつまんだまま、患者のところに案内してもらう。状況を一通り説明を受け、CT画像をみせてもらう。
呼吸はいい。点滴はグリセオールと補液のみで、血圧をあげる薬とか、ものすごい延命治療してるわけじゃない。酸素もしてない。尿道カテーテルのみだ。血圧も呼吸も安定している。これりゃ退院したら、目が覚める可能性もあると思った。
しかし、CTを見せてもらうとやはり厳しい状態だ。回復はないな。いつ呼吸が止まるかわからない。今日の退院にしてよかった。明日じゃ、家に帰れないかもしれない。
「点滴は抜いちゃってください。尿カテはそのままでいいです。薬はいらないです」
救命センター滞在時間は10分。
I君との再会に握手で別れ、
T看護師との仕事にも感謝し、久しぶりの一緒に緊急退院支援の仕事が出来た事の嬉しさに握手して別れる。
「サンキュー!」「またね~」
予定訪問診療患者を診て、ちょうど15時半に寿実子の家に着いた。
途中、メールで連絡が入った。
「退院前にチェーンストーク呼吸になったらしい。帰宅まで持たないかも」
広いリビングのど真ん中、庭に面した最高のポジションにベットが入っていた。それを確認した直後に、介護タクシーが着いた。
呼吸が止まっている時間(無呼吸)が長い。30秒以上ある。いつ止まっても不思議はない。娘2人と孫娘2人、介護タクシー業者さんと6人でベットに移す。「退院おめでとう!」と全員で拍手。
孫のももこは
「よかったね~おじいちゃん♡」
「帰ってきたよ~」
「もう大丈夫だよ~」
呼吸が止まっているじいちゃんにすりすりしてる。
あまりにも長い無呼吸に俺もビビってるが、ももこはビビってない。「よかった~。間に合った~」
どれが最後の呼吸かわからない。
「お茶なんかいらないよ、側にいてあげて」
と家族に伝える。もうじき呼吸が止まる。娘達、孫達に「死」を経験させたい。
孫達がじいちゃんに話しかける
「じいちゃん、今日はパーティーしようっか。じいちゃん、みんなで集まるの好きだったよね~」
すると、じいちゃんが呼吸を再開する
「うご~っ!」
いびき様の呼吸音。返事してるみたいだ。
「じいちゃん、反応する! 聞こえてるよ!」孫娘が叫ぶ。
俺も口を出す。
「絶対に聞こえてるよ!」
「しらす」という白い犬がじいちゃんのベットに潜り込む。じいちゃんに乗っかっても誰も止めない。この家庭での看取りは勿論初めてらしいが、すでに「死が日常の延長」になっている。
寿実子の3人娘のうち、次女はニュージーランドにいるらしい。
早速テレビ電話で海外の次女に会わせる。
「じーちゃん!」
ひとしきり、じいちゃんにニュージーランドの孫娘のメッセージがあったあと、3女のももこが次女に
「じいちゃんに『ありがとう』って言ってあげて!」
と伝える。次女が素直に
「じいちゃん、ありがとうね~」とスマホ越しに伝える声が聞こえた瞬間、
「グオッ~!」と反応した。無呼吸の後に呼吸を再開する時に出る声だ。桃子もそれを聴いていた家族もビックリ。
涙が出ている家族を見て俺も涙が出た。聞こえてるんだ(ように見える)、、、。
呼吸が止まりそうで帰れなかったが、止まるの待ってても失礼なので帰宅した。その後が大騒ぎだったようだ。寝泊まりしている施設オリジンの患者やスタッフ、施設にいる子供達が20人くらい入れ替わり立ち替わり岡田さんに会いに来た。半分呼吸してない岡田さん。ここの家族の反応は「おじいちゃん、おかえり~ よかったねえ~」そしてオリジンのスタッフも更に明るい。スタッフの子供達がオリジンの施設内のように、寿実子の家を走り回っている。
2日目
朝。目が覚めると妻が
「呼ばれてないの?」
「たぶん、、」スマホの着信履歴を念のためチェック。
夜中に亡くなったら、きっと朝、連絡がくると思っていた。
が、そろそろだろう。看取り往診の予定を昨夜から今朝に変更する。
寿実子にメールする。返事がない。
朝呼ばれるなら、午前中の予約の前に呼ばれるのが都合がいい。朝の時間、いつも通り執筆活動をして、犬の散歩から帰ってきた。今から呼ばれても、午前の予約外来があるから看取りに行くのは昼過ぎだ。昼に看取り往診の予定を変更する。
メールが来た。
「じいちゃんも私も熟睡でした。昨日より呼吸がいいみたい」
あれまあ、、そういうシナリオなのね。
予定表の「看取り往診マーク」を「訪問診療のマーク」に変更。
昼すぎ、寿美子(長女)の家に伺う。
相変わらず、穏やかな日常と非日常(長女の娘二人と、次女、次女の子供)が同居している。
岡田さんの呼吸は昨日より安定しているが、マスクをしている。
いまさらコロナ? 家族はだれもマスクしてない。
「じいちゃん口臭がすごいの」
「さっき、しらす(犬)がいなくなっちゃったの。くさいから窓全開。いつもはしらす、そのへんに(庭)いるんだけど、いなくなっちゃって、大変だったの。みんなで探して、、、見つからないなと困ってたら、ドロドロになって戻ってきた」
こんな時にシしらす探し(笑)。
亡くなる前、意識がなくなり、水が飲めなくなると、口腔内が乾燥して、細菌繁殖の臭いなのだろう。独特の臭いがする。萬田診療所の患者は大抵点滴してないので、意識が無くなった頃、脱水状態なので、すーっと苦しまずに亡くなる。口臭がする時期はわずかだ。点滴をしていると、恐らく何日か余分に生きる。いわゆる「危篤」状態だ。脱水が補正された分、余分な水分がある。嚥下出来ない唾液がゴロゴロ喉にたまり、苦しそうに見える。本人は意識はないが、そのゴロゴロを取り除いてあげたくなる。ここで登場するのが吸引。本人のための医療ではなく、家族のための医療。そして本人に意識が残っていると嫌がる。当然だ。喉にチューブを突っ込まれるのだから。「あなたのため」という拷問だ。意識が完全になければ拒否はない。ゴロゴロが取れると看ている方は気が楽になる。点滴をしている看取りでは高確率にこの場面がくる。私は点滴をしていないので、あまりこの場面はこない。
今回は病院で十分な輸液がしてある。昨日から点滴してないが、まだ排尿が十分ある。排尿とは体が調節して余分な水分と、体の破棄したいものが出てくる。排尿があると言う事はまだ余分な水分があるのだろう。
ゴロゴロと唾液が喉元にある。飲み込めない。気管に入れば、むせる。むせる体力もない。これが「亡くなる」最終過程なのだが、看ている聴いている家族が辛い。岡田さんはもう反応がない。吸引しても辛くないだろう。萬田診療所ではあまりしない事だが、訪看に吸引を頼んだ。
認知症で施設入居してる岡田さんの妻とリモート面会の時間が来た。昨日は義理の妹に直接会い、今日は妻と面会だ。残念ながら施設の妻は画面には小さくしか写ってない。妻の声は本人に届いているのだろうか。
「おかあさん、お父さんが見える!!??」
「妻の姿が小さく、向こうの反応がわからない」
「おかあさん! お父さんだよ!」
「随分年取ったねえ~」
「おーっ! わかった! よかった!」
お父さんはしゃべれないだけで、聞こえているかもしれない。こうして家族は、お別れイベントをどんどんこなしていく。
施設で仲良くしていた利用者Mさんも来た。コートを形見分けに貰ってもらったようだ。
2日目の夜は「餃子パーティー」だったらしい。大勢親戚が集まって岡田さんの好きな「パーティー」が開かれたようだ。
3日目
10時頃、寿実子からの電話が鳴った。亡くなったんだとおもったら、、
「おじいちゃんが目を覚ましたの!!」
「なに~!?」
「亀井さんが胸をおしてたら、『岡田さん、目を開いてますよ』と言って、本当に目を開けてたの! スポンジでビール吸わせたら、チューチュー吸うのよ! どう言う事!?」
「すげ~!」
「生き返っちゃうのかな?」
「死んでないから生き返るとは言わないだろ!」
「どういう事なの? 萬ちゃんが言ってた、『点滴しなければ脱水になって、意識がよくなるかも』って事?」
「医学でわかってる事はほんの僅か。医学で全部わかっていれば、それは不思議な事だけど、そもそも解明出来ていないんだよ。だから、、、そんなもんなんだよ。俺の世界ではこいうこと、あるあるなんだ」
「、、、でも、在宅って凄いね」
「そうだよ。面白いだろ~? 俺はこれが日常だけど、、、、今回は見物だな、ここまで面白いのはそうはないぞ」
「そーでしょ♡!」
「今日夕方、高崎で夕飯食う予定なんだけど、その前に、、、17時頃、見にいっていい?!」
「いいわよ。みんないるよ」
夕方寿実子の家にいった。じいちゃんは眠っている。
「1時間くらいおきてたよ。絶対疲れるよね。疲れて寝てるんだよ」
「私たちも疲れた~。だって、いろんな事がおきるんだもの!」
「ぐったりだよ!」とみんな笑顔。
「その後、ゴロゴロはどうした?」
「昨日1回吸引して無くなった。その後はないです」
「じゃあ、嚥下してるのかね」
「あっ! じいちゃんゴクンとした! 飲んでるよ」
確かに喉が動いている。嚥下の動きだ。
「だから、ゴロゴロしなくなったんだぁ~」
ももこの髪が更にショートになってる。
「美容院行ったんだ?」
「昨日の夜、みんなで喪服着てファッションショーしたのよ。じいちゃんに
「これどう?」
と、見てもらってたの。、、で、美容院行かなきゃって事になったってわけ」
長男の嫁が合流。彼女も看護師。ここ2日間の報告を聴きながら、岡田さんを観察していると、目が開いている。
「おきたよ!」視線の動きはない。表情もない。今のところ、目が開いているだけ。でも昨日、一昨日より更に「生きている」。
「本当だ!」「本当だ!」「えっ まじ!?」
とみんなじいちゃんに近づく。
「おじいちゃん、おはよ~!」
「おじいちゃん、おきた~?」
早速、水を飲むのか、飲みたいのか、本当に飲むのかを確認したい家族がスポンジで水を与えようとする。孫二人は、そんなに無理にあげなくていいんじゃない?って顔してる。
昨日は吸引したら、ゴロゴロが取れた。今朝は吸引したら、顔をしかめたり、チューブをカジって抵抗したらしい。そうなったら拷問になってしまう。水を飲ませるのも、嫌がっていたら勿論、拷問だ。
「嫌がってるようなら止めようね。喜ぶ事だけしましょうね」
と繰り返し伝えた。
寿実子が最後に複雑な表情で俺に聴く。
「おじいちゃん、どこまで生き返るんだろう?」
在宅ケア。今回は余命数日のつもりで、退院を計画。帰ってきたら余命数時間に変更。その後2日たったら、、、余命が見えなくなった。家族は仕事を休んで、いつまでもみんなでじいちゃんに付き合っているわけにもいかない。今後の予測がたたないと、家族の日常生活が成り立たないのだ。でもさすがに俺にも余命が見えない。通常患者の余命は常に考えている。余命1日と1ヶ月と1年では、スタッフも家族もケアの方針がまるきり違うから。俺は普段は8割方余命は読める。勿論読めない事もある。読めない時、それは思ったより長くなる時だ。思ったより短い事は滅多にない。俺の経験の傾向として、一度余命が外れるとその後もずっと外れる。だから一度余命予測が外れたら、その後は予測しない、、が自分の中では鉄則になってる。だから
「余命はわかりません」なのだ。
4日目
表情出現
相変わらず30秒ほどの無呼吸があるが、今日は手を握り返す事が多く、顔を拭くと嬉しそうに笑うようだ。
水のスポンジは吸わない。舌で押し返す。なんとビールのスポンジはチューチュー吸い、むせながらもゴクリと飲み込むらしい(汗)。
長女の寿実子はいつまでも休めないので、明日から仕事に行くことになったようだ。
5日目
意識低下。とうとう看取り体制なのか。
花火が上がった。じいちゃんから見える庭の正面にあがった。
「こんな3月の時期になんの花火だろう? じいちゃんがあげてるのかねえ」なんて話してたようだ。
実は、、、あとから判明したが、じいちゃんのお気に入りのコートを施設の仲間茂木さんが貰ってくれた。その茂木さんの花火師の息子があげた新人練習の花火だったようだ。まさか、、、そんなつながりがあるなんて。
6日目
深夜に呼吸停止の連絡あり。8時過ぎに訪問。玄関あけて、リビングに入るも誰もいない。猫が一匹見守りか。
そのうち、二人の孫娘が眠そうな顔で起きてきた。
昨晩はずっと目を開けていた。
「じいちゃん、もう寝るね!」とみんな床についた。
「明日は冷たくなってるんだろうね」といいながら。
寿実子が深夜に起きたらまだ生きていた。呼吸が弱かったのでそろそろだと思ってみんなを起こした。孫娘達は
「あれ~じいちゃんまだ生きてたの~ 待ってたの~?」
また、息が戻ったらどうしようか、、逝ったかな、、、、逝ったかな、、、と見守ってた。
そして、、、逝ったらしい?、、、という看取りだった。
みんなが起きてきてから3分くらいだった。
最期、顔がくしゃっとして、、、
みんなも、本人も「ありがと、、」って感じだった。
そしてちゃんと最期は目を閉じた。
と、孫娘が今朝の看取り様子を教えてくれた。
寿実子も起きてきた。
「私たちも体力使いきったよね~。葬儀の後は大変だって聴いてるけど、きっと大変じゃないだろうね。6日間の生前葬って感じだった」
「最期はにっこり笑ってから目を閉じたのよ!」
「おかあさん、違うよ、目を閉じてから笑ったんだよ!」
こんな感じで息を引き取った時の様子を楽しそうに報告してくれた。
それを聴きながら死亡診断書を書いて渡す。十分生きたと家族が思えれば癌患者でも死因は「老衰」にしている。勿論岡田さんは「老衰」という事になった。そう、萬田診療所では家族が死亡診断書の病名を決めるのだ(笑)。
人は病気で死ぬのではない。老化で死ぬ。病気は老化の段階に名前をつけてるだけで、治らないし、治療すれば死なずに済むわけじゃない。病気にやられたわけでもない。誰もが老化して弱って死ぬのだ。それが認められれば穏やかに逝ける。認められなければ、老化の治療にチャレンジして敗れる。