緩和ケア 萬田診療所

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タウン介護

介護情報誌「タウン介護」に乗せた文章をまとめました。

①緩和ケアとは

「がん治療」は手術、抗がん剤、放射線治療を中心に積極的にがんを消そう、小さくしようとする治療です。
「緩和ケア」とは、がん患者さんの苦痛を取りのぞき、患者さんとご家族にとって、自分らしい生活を送れるようにするためのケアです。
  実際には、がん性疼痛や呼吸苦、心の辛さを薬剤やさまざまなケアで緩和します。      
 「がんへの積極的治療」だけが「がんの治療」ではなく「緩和ケア」も立派な「がん治療」なのです。
   以前から「進行がん患者には早期からの緩和ケア」が推奨されています。生命予後が長くなるという有名な報告もあります。もちろん現場では「早期からの緩和ケア」を受けた方が楽に長生き出来ると感じています。抗がん剤治療と並行していいのです。
   しかし現在の日本にはそんなシステムも、紹介する癌治療医師も、引き受ける緩和ケア医師や診療所もわずかです。まだまだ緩和ケア医師が少ないので「最後のところ」しか引き受けられていないからです。そして緩和ケアは「治療を諦めるところ」「最後に入院するところ」と思われています。
「緩和ケア」、、、、がんにまつわる症状が出現したら行くところ。治療をしたくない人、治療をやめた人がのんびり通う「人生の最終章を穏やかに暮らすことを手伝う医療、死ぬのを待つのではなく、より良く生きる事を支援する医療」という認識が出来てくることを願っています。

 

 

②長生きを目標にすると

  「90歳まで元気で認知症にならず自分の事が出来ていたい」「癌になりたくないし認知症にもなりたくない」こんな事願ってる人が多い。でもそんな人は数%もいないんじゃないかな?    実際、仮にそこまでたどり着いても、生きていくのが辛くて「早く死にたい」なんて言ってる人も多い。なのに皆さんそこを目指して、たどり着けずに、人生「残念!」で終わる。 また、長生きしたいが「認知症になるまで生きていたくない。ピンピンコロリがいい」と言いながら、高血圧の薬や血液サラサラの薬、高脂血症の薬を飲んでいる。それは「ピンピンコロリを防ぐ薬」だ。言い換えれば「上手い具合に、がんにならなければ、認知症になるまで生きることを目的とした薬」を飲んでいる。
    そもそも平均寿命は80歳台。平均なのだからそこまで生きられる人は半分しかいない。健康寿命は更にそこから5年以上前。なのに皆さん、平均は全員がたどり着くものだと誤解している。人生設計も平均寿命を基準に考え、勿論希望はそれ以上だから、、、最初から上手く行かない人生設計になっている。
   「長生き」を目標とする人生設計は上手くいかない。実際長く生きられて「上手く行きました」って人は僅か。人生「上手く生き」、「上手く逝き」、「上手く行った」と言いたいですね。

 

③老化とは

    病気とは老化の段階に名前(病名)をつけたもの。体は元気でも1日1日確実にポンコツになっている。病気が悪いのでも可愛そうなわけでもない。目が悪くなったらメガネ。耳が遠くなったら補聴器、歯が抜けたら入れ歯。治療したら聴こえるようになったり。歯が生えてくるわけじゃない。歳をとれば臓器もポンコツになり、腎臓や肝臓の数字が悪いといわれたり、不整脈だの糖尿病だのいろいろ病名がつき、治療が必要だと言われる。「治療をした方がしないよりその臓器を長持ちさせられそう」というのが「治療」であって「修理」に近い。元気になるには、病気といわれる前の状態に戻りたいならタイムマシンに乗るしかない。
    病気で寿命が決まるのではない。いろんな病気が重なり(老化が進み)体が弱るから死ぬのだ。日々の老化は目に見えないし検査してもわからない。つもりつもってあるとき「病気」として現れる。「急に」というが、何十年かけてようやく「症状」として出て来ただけだ。「急」ではない。一つの病気を治しても、他の臓器も老化していく。いや、治療に伴い他の臓器の老化も加速される。そして、体が弱ってきて、一番強い心臓という臓器が最後に止まった時が人の死だ。
    老化を治すのではなく、嘆くのではなく、なんとかごまかして工夫して生きていこう。修理出来るものは修理しながら。そして修理には限界もあることを受け止め、上手に老化と付き合って生きたい。

 

 

④100年時代

   100年時代が来ると言うが私はそうは思わない。今の高齢者は医療の進歩によって生き延びた人ではなく、戦中戦後の大変な時期を生き延びた生命力のある人だ。大抵「病気らしい病気をしたことない」と言ってる。医療の発展のおかげで生きているのではない。私を含め今生きている人は医療のお陰で生き延びた生命力の弱い人間だ。寿命は今がピークだと思う。
   仮に医療の発展により、平均寿命が100歳になったらどうなるか。100歳以下で亡くなると「平均寿命に達しなかった」ので不幸だとなる。平均寿命が150歳になっても100歳で亡くなると「若くして死んで可愛そう」となるだろう。いくら医療が発展して平均寿命が伸びても、「生長き」を求める限りは平均寿命に達しない半数の日本人は幸せにはならないのだ。
  「がんになりたくない、認知症にもなりたくない、元気で長生きしたい」これが普通の日本人の望み。そして運良く、がんにならずに高齢者になるまで生きられれば「辛い不便だ、早く死にたい」と言う。子供も親に「長生きして欲しい」と願い、延命治療をする。その結果、長生きすると「頑固だ、認知だ」と親を責め、「介護の手間とお金が大変だ」と嘆く。私から見ればよくあることなのだが、、、、本人も子供も長生きを目標にしている限りは幸福にはなれないようだ。

 

 

⑤老人医療
   私は外科医だった頃、「俺は外科医だ。手術が必要な患者や救急、医療の最先端の現場で頑張ってるんだ!」と自負していた。「高齢者の肺炎、認知症、そんなのは老人医療の医師がみればいい」と思っていた。今となっては恥ずかしい。
   現在も病院では高齢者を引き受けたがる医師は少ない。どうしてか。まずは、高齢者は治療しても元気になるわけじゃないから。治療をすることによって弱っていくことも多い。次に、自分で病状を理解し治療を希望するならいいのだが、入院したくない、治療をしたくなくて、家で粘っていた人が粘りきれなくなったり、家族に運び込まれて入院治療が始まるパターンも多い。本人が願っていない治療をするのだから、医療側にもやりがいはない。そして、家族主導型の治療の場合は何度退院しても、家族はなんとかしてくれと言い続け(死なない治療を望み)、、、最後は「残念でした」と言わなければならない、、、実りの少ない仕事なのだ。
    医師と高齢者の家族は「長く生きれば生きるほどいいに決まってる」と思っている人が多い。でも高齢者当人になると気づく。「生きれば生きるほど大変だ」と。でも気がついてからでは遅い。気がついた時には「判断力がない」と言われて、本人の意志は通らなくなる。「嫌だ」と言っても「頑固」「言うこと聴かない」と言われ、「帰ろうとしても」「逃げた」と言われる。「生かせば生かすほど辛いところに連れて行くことになる」というのに日本が気づくのにはあと30年くらいかかるだろう。

 

 

⑥死が辛いわけ
「結婚して幸せになりたい」と思っている若者は多い。どう幸せになるかは、そこからの努力で決まる。結婚は幸せのゴールではなく幸せになる方法の一つだ。「長生きしたい」と思っている老人は多い。医師と家族は「長生きの方がいいに決まってる」と思っている。長生きを目標にして、その目標を達成されると、嬉しい人も勿論いるが、どんどん出来ることが少なくなるのに気付く。そして自分がだれだかわからなくなっちゃう(汗)。「こんなはずじゃなかった」と嘆く人もいる。長生きは目標じゃなく、やりたい人生を生きるための手段の一つだ。生きてないとやりたい事は出来ないから。
病気は老化の段階に名前をつけただけ。恐ろしいものがやってくるのではなく、自分がポンコツになっていくだけ。がんや病気で死ぬのではなく、老化して弱っていって死んでいく過程に、がんなどの病名がつけられているだけだ。
死が辛いわけ。それはがんや病気が悪いのではない。病気から逃げれば逃げるほど辛いし、治療で頑張らされるのは更に辛い。上手く逃げ切れたその先は、、、認知症かもしれない。「よく頑張ったね〜」「今までありがとうね〜」と言われている人は「いい人生だった〜」と幸せそうに亡くなっていく。私は死ぬ時に「残念でした」と言われたくない。「いい人生だった」と、いつその時が来ても言えるように今を生きたい。それが私が看取った千数百人の患者さんから教わったことだ。

 

 

⑦元気で長生き

 みなさん「元気で長生き」「ピンピンころり」「認知症になりたくない」を希望している。しかし現実はすごく難しい。
まず、「元気で長生き」は無理だ。長生きすればするほど出来ないことが増える。視力、聴力、咀嚼力、筋力、記憶力、判断能力、、と全て衰える。どんなに健康に良いことしても、1日1日確実に老化する。元気なままいられる事はありえない。仮に願いが叶って大きな病気をしなければ、、、次第に「生きるのが辛い」と言うようになる。当然だ。そして更に上手く行けば、それを忘れるところまで生きられる。そう、、「認知症になるまで生きられる」という事だ。
 「ピンピンころり」はさらに難しい。それは元気に生活している状態で倒れて亡くなる事。でも亡くなって見つかる事はすくない。倒れた状態で発見され救急車が呼ばれる。救急車で運ぶということは延命してくれということ。そこから治療が始まる。亡くならなかったとしても元に戻れるのではなく、生活レベルが数段低いところで生きることになる。半身麻痺とか認知症という状態まで急降下する事も多々ある。それが老化という現実でもある。倒れた時には「余計な治療をせず苦しくないようにだけしてくれ、、最後まで診てくれる」医師に頼まないと。そうしてくれと家族に頼んでおかないと。
 年を取るということは、老化すること。病気とは老化の段階に名前をつけただけ。恐ろしいものに取り憑かれるのではない。自分がポンコツになっていくだけなのだ。

 

 

  2020.01.25